暮らしてウドムサイ 最終回 やっぱり「人」

 

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日本では都会暮らしが板についていたわたしが、この田舎町ウドムサイに住み始めてはや10ヶ月。

プライバシーなど無関係に、ずかずかと私の陣地に踏み込んでくるウドムサイ人(ウドムサイに住むラオ人、以下「ウドムサイ人」)に、実は引越した当初は辟易していました。

昨今、日本では、近所付き合いも希薄なものとなり、マンション暮らしでは隣人の顔を知らないということも珍しいことではありません。

そんな生活が当たり前だった私に舞い降りてきた試練。それが、ウドムサイ人との距離感の掴み方だったのです。

 

大家さんが借家である我が家に入ってくるのは当たり前、ウドムサイ人との食事会では、自分の手でギュッと握ったもち米や、食べかけの物を目の前に差し出されることも日常茶飯事。日本じゃあり得ないことばかりです。

「相手の都合など考えず、常に自己中心的」私はウドムサイ人をこんな風に見ていました。

 

だけども、彼らをよーく観察していると。日本人と類似したところも多いことに気付き始めます。

それをきっかけに徐々に心を開き始めたら…。日本人なんて比じゃないくらい魅力的な人が多い。

そしていつの間にやらウドムサイ人の虜。最終回はウドムサイに暮らす「人」の魅力についてたっぷりお伝えいたします。

 

  • 日本人も顔負けの奥ゆかしさ

ウドムサイ人は日本人が美徳と考える奥ゆかしさを兼ね備えています。多民族多言語の中で育ってきたためか英語やフランス語など流暢な使い手が多いのですが決してそれをひけらかすことありません。英語をかなり喋れる人でも「英語話せるの?」と聞いても「少ししかできないよ」と言います。できるけど決してできると言わない。できないのにできると大言壮語しない。そんな奥ゆかしさは日本以上かも。

 

  • お節介好きは大阪のおばちゃんなみ??

とにかく世話好き。ウドムサイ人はとにかく人のお世話を焼くことが大好きです。例えば、「温泉に行ってみたいなぁ」とぼやいただけで、翌朝家の前に温泉行きのお迎えの車が横付け、「家の鍵が壊れちゃったぁ」と言えば、大家さん+大家さん家族+その知人数名がわらわらと修理に参戦、「恋人がいなくて寂しいなぁ」なんて言った日には、とびっきりの恋人候補を紹介してくます。最初は随分と騒々しいお節介だと感じていましたが、むしろ今はそれを愛おしく感じ始めています。

 

  • アメリカ人もびっくりなオープンな性格

何事にもオープンです。まずは物理面。街中の中心部でさえ、常に家のドアはオープンで人々の暮らしの様子は外から丸見え。つぎにハート。外で食事したりキソソム(おやつのようなもの)することが多いウドムサイ人は、その最中に前を通りかかれば相手が外国人であっても食べていきなさいと声をかけてくれます。キンビア中であれば、声がかかる確率100%。シャイな日本人のハートもウドムサイ人の手によって、こじ開けられてしまいます。

ここウドムサイにおいて外国人である我々が差別を受けた経験はありません。多様な民族や、隣国中国人など異なった人種に属する人たちが多く住むウドムサイだからかもしれません。

  • 仏の顔も三度まで。ウドムサイ人の顔は∞

これが最大の魅力かもしれません。ウドムサイ人は怒るということを知りません。人を批難することもなければ、感情をむき出しにすることもない。レストランで注文した料理が一時間出て来なくても、銀行の窓口で延々と待たされても、雨が降っただけで飛行機が二日間も欠航になっても。そんな小さなことで文句を言う人など一人としてウドムサイにはいません。「相手の都合など考えず、常に自己中心的。」なのは日本人の方かも、そう気付かせてくれたのもウドムサイの「人」でした。

 

我々案内人は、ウドムサイのキャッチコピーを「バックパッカーもなごむ街ウドムサイ」としました。ひとつの地に留まらず、世界中を旅するバックパッカー。そんな彼らでもついつい長期滞在してしまうというウドムサイ。お隣ルアンパバンのような知名度も華やかさも、有名な観光スポットもないのに、旅慣れた彼らの足を踏みとどまらせる魅力ってなに?言うまでもなくウドムサイに暮らす「人」でしょう。誰かに甘えたくて旅に出る、そんな旅の目的があっても良いじゃないですか。あなたを優しさで包み込んでくれるウドムサイで、浦島太郎にならない程度の長居を・・・。完

 

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